日々の学び:J・M・クッツェー『マイケル・K』

投稿が長い間滞ってしまっていました。仕事の都合で南アフリカ文学に興味を持ったので拝読。ノーベル文学書作家の作品を読み進めるのも意図の一つ。この作品を読んで、アフリカーナー(オランダ系入植者)という単語を知った。

あらすじ
内戦下の南アフリカ。手押し車に病気の母親を乗せて、騒乱のケープタウンから内陸の農場をめざすマイケル。内戦の火の粉が飛びかう荒野をひたすら歩きつづける彼は、大地との交感に日々を過ごし、キャンプに収容されても逃走する。……国家の運命に巻き込まれながら、精神の自由を求めて放浪する一個の人間のすがたを描く、ノーベル賞作家の代表作。

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まず文体の特徴として、短い簡潔な文を重ねることが有名である。アパルトヘイト政策下の黒人、マイケル・Kの視点で物語が進むので、これは文章を彼の教養や教育レベルに合わせた印象も与える。一方で、壮大な自然を描くシーンが度々あり、そういった場面では簡潔が故に情感が溢れる面もある。非常に読み応えがあった。

気になったシーンをいくつか。

野原に逃げたマイケル・Kが自然に帰り、時間感覚を忘れて行くシーン。情景が印象的。時間という近代的概念を西洋=アフリカーナーの文化と結びつけるのは勘ぐりすぎか。

湖、流水、広大な内海、あるいは底なしに深い沼。ブレーキをゆるめるたびに弾み車がまわり水が流れ出す、それが奇跡のように思えた。貯水池の壁越しに身を乗り出して、目を閉じ、指先を流れに浸した。
陽が昇り、陽が沈むのに合わせて、時間の外側のポケットに入ったように暮らした。ケープタウン、戦争、農場に来るまでのいきさつが忘却の方へ消えていった。

アパルトヘイトにおける白人の考えを象徴するようなシーン。入植者は自分たちの歴史・風土・文化が原住民の生活を良いものにすると信じてやまない。

「お前たちときたら、明けても暮れても、食って寝て太るだけ。自分が見張っているはずのやつらがどこにいるかさえ把握していない!ここでいったい何をしているつもりだーホリディ・キャンプでもやってるつもりか!ここは労働キャンプだぞ!怠惰やつに働くことを教えるキャンプだ!働くことだ!
〜お前らは感謝ってことを知らんな!住むところがないとき家を建ててやったのはだれだ?寒さで震えているとき、テントと毛布をくれてやったのは誰だ?いったいだれが看病してやった、だれが世話してやった、毎日毎日ここに食料を運んでやったのは、いったい誰だと思ってるんだ?そのお返しがこれか?いいか、これからは植えても死んでも一切知らん!」

最後の方に、ある医者がマイケル・Kのことを、母親の過保護が彼の考える力を奪ったと評するシーンがある。アパルトヘイトによって生まれた「埋まらない格差」は、これから同じようなことを起こすのかもしれない。

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