日々の学び : 亀山郁夫『そうか、君はカラマーゾフを読んだのか。』


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世界最高文学、そしてとにかく長くて重たい小説として有名な「カラマーゾフの兄弟」。キリスト教的な価値観とロシア人の生きる力を感じるとても良い文学作品ではあるが、とにかく重たい。何年か前にドラマ化されていましたが原著を読む気にはならない人が大多数と思う。

そこで導入書として僕が実際に勧められた「そうか、君はカラマーゾフを読んだのか。」を紹介しようと思う。これと村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読めば導入としては十分。特に作中叙情詩「大審問官」は人生で一度は読んだほうが身になること間違いなしかと。

「そうか〜」は「カラマーゾフの兄弟」に出てくる格言をまとめたもので、登場人物の人物像や作品が伝えようとしているテーマの解説になっている。タイトルに由来するように「カラマーゾフの兄弟」を読んだことがあるといことは国際舞台でも教養がある、と思われるらしい。

『カラマーゾフの兄弟』あらすじ

街で有名なカラマーゾフ家の主フョードルには、息子が4人いる。なかでも長男のドミートリィは、父のフョードルと折り合いが合わず、常に喧嘩ばかりしていた。
そしてついに、ドミートリィはフョードルの殺害を計画。召使いのグリゴーリイによって止められるものの、翌日フョードルのが何者かに殺され、さらに大金が盗まれていた。当然のようにドミートリィが疑われるが…

ここからは、面白かったところ・勉強になったところを紹介していく。

第1章 喜びの発見に努めよ

苦しみこそが人生だからですよ。苦しみのない人生にどんな満足があるっていうんです。

カラマーゾフ家三男アリョーシャがいう台詞。彼がキリスト教の価値観と兄弟愛の間に揺れ動いているときに出てくる。なによりドストエフスキー自身が投獄されて死にかけながらなんとか「カラマーゾフの兄弟」を書き上げたものであるから、この言葉はあまりにも響く…

第2章 理不尽な社会に怒れ

小さいものに対して、驕ってもなりませんし、大きなものに対しても驕ってはなりません。

なかなかこれを実行するのが難しい話で常に気をつけていかないといけないなあと思う。

第3章 哀しみは克服できる

人間にとって良心の自由に勝る魅惑的なものはないが、しかしこれほど苦しいものもない。

「カラマーゾフの兄弟」で一番有名なシーン、というか作中に出てくる叙情詩が「大審問官」であるわけだが、その中の台詞。つまるところ神はいるのか否か、いたとして神たる偉大さ、無償の愛は本当にあるのか、神にこそ原罪があるのでは、という話。

無神論者の次男イワンがこの叙情詩を披露するのだが、このイワン自体神を信じるために否定しているような、実は一番感情の動きが大きい人物で「カラマーゾフの兄弟」の中で一番好きなキャラクターだ。

第4章 人生とは楽しいもの

倦むことなく実践しなさい。夜、眠りに入る前に「やるべきことをまだ実行していない」と思い出したら、すぐに起き上がり、実践しなさい。

自分は「寝る間を惜しんで」があまり好きでないので早く寝るが、これを読んで早めに起きるようにした。

第5章 愛は命よりも重い

人間とは大抵の場合、それがどんな悪党でも、私たちが一概にこうと決めつけるよりはるかに素朴で純真である。

性善説を信じる、というか信じたいドストエフスキーからのメッセージだと思う。ドストエフスキーはツンデレだ。

第6章 悪があるから善がある

他人の手の中のパンはいつも大きく見えるものです。

「隣の芝は青い」というけども、キリスト教圏におけるパンは富そのもの。ドストエフスキーの「富」への言葉は重く響く。特に当時は社会主義になり始めていた時代だし。

いま能力のあるほとんどすべての人が滑稽になるのをひどく恐れ、そのためにかえって不幸になっているんですよ。

優秀かどうかは置いておいて、このブログを始めるときには滑稽に映るかが怖くて躊躇していた。始めてみたら冷やかしも少なくない笑

世界の終わりとハードボイルドワンダーランド

「小説の終わりの方でアリョーシャがコーリャ・クラソートキンという若い学生にこう言うんだ。ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかし全体としては人生を祝福しなさい」

「しかしそれを読んだとき僕はかなり疑問に思った。とても不幸な人生を総体として祝福することは可能だろうかってね」
「だから人生を限定するの?」
「かもしれない」と私は言った。

<中略>
私はアリョーシャ・カラマーゾフの気持ちがほんの少しだけわかるような気がした。おそらく限定された人生には限定された祝福が与えられるのだ。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の終盤にこのようなセリフが出てくる。村上春樹自体ドストエフスキーに影響を受けているが、「世界の終わり〜」は特にそれが強い印象。村上春樹というとアメリカ文学っぽい乾いた感じが多いですが、「世界の終わり〜」は割と生きる力強さのようなものを感じる。このセリフの意味を理解するのに「世界の終わり〜」もオススメだ。

終わりに

僕は「カラマーゾフの兄弟」を読み終わるのに半年かかりましたが、読み終えた時の達成感半端なかった。世界最高の文学と言われる理由もよくわかりますし、馴染みの薄いキリスト教的な価値観について多少なりとも学べることも大きい。

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