日々の学び:西村賢太『疒の歌』


文學界の特集を経て『苦役列車』を読んでから西村賢太がマイブームになっている。初の長編ということで拝読。

主人公はいつもの北町貫多なのだが、今回は作中に田中英光と藤澤清造との出会いが出てくる。西村が田中英光に最初に受けた衝撃を綴っているものなのだろう。自分が初めて西村の文章を読んだ時にも全く同じことを感じたので引用する。

書かれてあることも自身の愚かな振舞いの、その不様さをくどくど述べ立てているに過ぎないのだが、しかし、何やらユーモアを湛えた筆致で一気に読ませてくるのである。

アクチュアル、とでも云うのか、どんなに陰惨で情けないことを叙していても、それはカラと乾いて、まるで湿り気がない。どんなに女々しいことを述べていても、それにも確と叡智が漲り、そしてどこまでも男臭くて心地がいい。
自身の悲惨を、何か他人事みたいな涼しい顔で語りつつ、それでいて作者はその悲惨を極めて客観的に直視しているのだ。

ただ恥ずかしい自分を露呈するだけの自然主義的な私小説ではなく、悲惨さをニヒルに受け止める西村の小説そのもの、むしろ西村が目指した小説の形が描かれている。後年、西村は田中英光よりも藤澤清造に傾倒し、書く内容もさることながら文体にも注力したことがよくわかる。

清造の場合、自らの古風、かつ独自の文体をより強固に支えるべく、ここに戯作者の精神を持ってきていることが、凡百の自然主義作品をは大きく異なっているのである。

藤澤清造『根津権現裏』 – 西村健太による解説より

小説としても十分読み応えがあるものだったが、それ以上に田中英光=私小説家との初めての出会いが生き生きと描かれていたことに心打たれた。

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