日々の学び:西村賢太『一私小説書きの日乗』

西村賢太にハマっている。そして自分はエッセイが好きだ。昼に起き、サウナへ行き、文を書いて、酒を飲んで寝る。そんな西村賢太の日常が、なんてことないのだがとても面白い。頻出する「手製のウィンナー炒め」がなんとも美味そうだ。

小学校へ訪問した西村氏の感想が非常に刺さったので引用。激動・悲惨・貧困だったはずの少年時代をどこか客観視してカラリと捉える目線がたまらない。

無論、感慨はイヤでも湧いてくる。が、それは湧いたそばから、たちどころに消えていく。
これで良い。本来は、二度は戻れぬ生育の町の、その小学校をロケ地としたテレビ出演を受けたのは、偏に自らの幼少期のこと、父親のことを、そろそろ小説に書きたかったからである。
少なくとも、生育の町への感情や痛みは、最早ない。この確認ができたことが収穫である。これならば、もう痛い部分も他人事のような涼しい顔で筆に乗せられそうだ。

日々の学び:西村賢太『一私小説書きの日乗』

これが『疒の歌』につながるような一文で非常に感慨深い。

書かれてあることも自身の愚かな振舞いの、その不様さをくどくど述べ立てているに過ぎないのだが、しかし、何やらユーモアを湛えた筆致で一気に読ませてくるのである。
アクチュアル、とでも云うのか、どんなに陰惨で情けないことを叙していても、それはカラと乾いて、まるで湿り気がない。どんなに女々しいことを述べていても、それにも確と叡智が漲り、そしてどこまでも男臭くて心地がいい。
自身の悲惨を、何か他人事みたいな涼しい顔で語りつつ、それでいて作者はその悲惨を極めて客観的に直視しているのだ。

西村賢太『疒の歌』

最後にエッセイ内によく出てくる早稲田鶴巻「砂場」へ行ったので写真を残しておく。次は鶯谷「信濃路」に行きたい。

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