日々の学び : 千野帽子『物語は人生を救うのか』


本サイトでは”現役スポーツアナリスト”の「日々の学び」をブログとして書き残していきます。

「物語論」関係の本を以前にも紹介した。この『物語は人生を救うのか』は『物語論入門 基礎と応用』の著者橋本さんのおすすめ図書。

人間はできごとを勝手に繋いで、ありもしない因果関係を作っては、そのことで助けられることもあれば、苦しんだりする生き物だ。

この「因果関係」こそが「物語」である。『物語論入門 基礎と応用』は割と学術書寄りの内容(選書)だったのに対して、『物語は人生を救うのか』は新書ですので内容はかなり平易なものとなっている。具体例に聞いたこともないような文学作品がそんなに出てこないのもオススメポイント。

千野帽子

福岡市生まれ。九州大学大学院修士課程修了(仏文学専攻)、パリ第4大学博士課程修了。関西学院大学商学部助教授、2007年准教授、2010年教授。2004年から「休日だけの趣味」として、『ユリイカ』『ミステリマガジン』などに、少女文学についての評論、文芸時評などを多く執筆している。
(Wikipedia)

感想

結論から言えば、「物語それ自体は人生を救わないが、物語の構造や作り方を事前に知ることはできる」といったところだろうか。Creepy Nuts×菅田将暉の『サントラ』でも「物語」という言葉が出てきた。

映画みたいな生まれ育ちや
ドラマみたいな過去じゃなくても
華々しく照らしてくれありふれた生き様を
この人生ってやつは作り話
自分の手で描いていくしかない
あの日でっち上げた無謀な外側に
追いついていく物語

↑がサビ(Hook)の部分なのだが、意図したのかしてないのか極めて物語論的な歌詞になっている。(ちなみにこの「映画みたいな」や「ドラマみたいな」という歌詞は『踊る大捜査線』を意識して作詞したそう。)

この歌詞の部分こそが、物語論的な人生解釈の肝である

あるできごとがどういう性質・意味を持つかということを人はしばしば直感的に把握した気になるが、それは可能な複数の解釈・意味づけのひとつにすぎない

ということになる。「あの日でっち上げた無謀な外側に追いついていく物語」という歌詞の、現在の人生の解釈をあえて未来から見た物語と捉えるところが面白さでもある。

そして、もう一つ現代で生きる僕らに大切な章がある。「第6章 ライフストーリーの構築戦略」では筆者と祖母の思い出が語られる。心温まるものではない例なのが、もしかすると解釈によっては心温まるものなのかもしれない。
ある夏休み、祖母に風呂場で全身を洗われる、という話だ。この話をどう捉えるか、というのは個々人によって変わると思われるので、ぜひ続きを買って読んでみて欲しい。

この例から世間が描く「物語」の一面しか知らないと、自分がまるで不幸であったり罪があるように感じることがある、つまり「世間には罪悪感を抱かせるシステムが構築されている」という点が語られる。
人間自体が常に現実世界に対して必然性を求める中で、その集合体たる世間が作る物語システムには常に注意しなければいけない。世論というものが良い例だ。そして、一番大切なことは自分の感情を救えるのは社会的構造でなく、自分自身だけだということだろう。

終わりに

『物語は人生を救うのか』を読むことで、物語論的な自分の「意思決定」や「過去の振り返り方」の理屈がわかる。といっても本書で言えば、「わかる」とは「手持ちの一般論で説明できる」という意味以上にはならないが…

「物語」は人生を救うこともあれば、邪魔をすることもある。過度に「物語」を求めない姿勢で生きていきたい。この世に因果関係というものは常には存在しているわけではなく、ゆえに人間は生きづらさを常に感じている。だからこそ「事実は小説より奇なり」、なのだろう。

人はフィクションだけでなく、予想や反実仮想にも必然性を求める。

26最後の夜少し期待して目を閉じ眠る
27最初の朝何事もなくまた目が覚めた

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