日々の学び:東畑開人『心はどこへ消えた?』


文學界3月号の対談(【鼎談】頭木弘樹×斎藤環×横道誠「『当事者批評』のはじまり」)の中で紹介されていたので拝読。
全スポーツ選手必読なんじゃないかって内容だった。軽い読み応えのエッセイの中に臨床心理士としての言葉、当事者研究から得たものが詰まっていて超良いエッセイだった。今のところ個人的2022ベスト本10選の中に入ってきてる。

心とは何か。それは事典で定義されるものではない。心は理論の言葉で語られた途端に、灰色の標本になってしまう。大きな物語の中では心は窒息してしまう。そうではない。心とはごくごく個人的で、内面的で、プライベートなものだ。だから、心は具体的で、個別的で、カラフルなエピソードに宿る。緑なす文学的断片こそが、心の棲家なのだ。

ごくごく個人的な文学的断片=科学的な心、という深すぎる言葉。物語論でよく語れるが、世の中には事実しかなく、そこに解釈=物語を足すのが人間。その物語こそがその人をその人たらしめるもの、ということなんでしょう。物語にはパターンがある。ということは人間の認知にも物語がある、つまり文学と科学が交差したような気がしてアハ体験のように感じていた。

エッセイとしては特に「トリセツと私小説」という章が好きだった。俺は昔からイライラすると顔に出てしまうというかアンガーマネジメントが下手なタイプである。自分の「トリセツ」を作りたいもんだ。
終わりの方からもう一つ引用。

私の心に彼の心を置き、それから彼に戻す。一旦預かるのが大切だすると、次は自分で自分の心を振り返れるようになるかもしれない。心に心を置いておけるようになるかもしれない。この繰り返しが対話の本質だと思う。
生活は忘却の集積だ。それでいい。常時心と向き合っている余裕は現代の私たちにはない。それでも心は存在する。ときどきでいい。振り返れば心がいる。

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